(静かに、安らぐ心の奥へと そっと整えるひとときを|癒し時間約1分)
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(イヤホンや静かな環境でお楽しみください)
バッハ:モテット『主に向かって新しき歌を歌え』BWV225(一部)
歌詞(日本語訳)
主に向かって新しい歌を歌え。
全地よ、主に向かって歌え。
主の御名をたたえ、その救いを日ごとに告げ知らせよ。
主の栄光を国々に、その奇しき御業をすべての民に。
端的に言えば、「神の救いと栄光を、世界に告げ知らせよ」。
本来は、15分ほどかかる曲です。ここでは、短く。
1789年春 ライプツィッヒ(宮廷の外で花開く音楽家)(クリックで展開)
モーツァルトの旅で最も長く滞在した場所はライプツィッヒ。敬虔なカトリック信者であったモーツァルトを迎えるに際し、バッハの後継者たちは最高の敬意として、このモテットを贈ります。
ヨハン・セバスティアン・バッハという大作曲家の圧倒的な芸術に触れたとき、内側で起こる「崩れ」「気づき」「高まり」。
ライプツィッヒに滞在しているモーツァルトは、市民社会から熱狂的に迎えられ、宮廷の閉じた世界から市民の音楽になっていくことを肌で感じた旅路でした。
1789年のヨーロッパ圏の問いを、今現在に置き換えると
現代に置き換えた問いを詳しく(クリックで展開)
1. 例えば、夜中に大音量で音楽に浸りたいとき。|”自分の世界を満たしたい衝動”と、”他者の静寂を思う配慮”。その境目で、どうあるものなの?
2. 自分の「好き」|その”「好き」は、広く分かち合うもの”なの? それとも、”選ばれた者だけの秘め事として留めるべきもの”なの?
3. 「自分で考えて動く」ことを許される場と、「空気を読んで従う」ことを求められる場。|その間で、どちらを選ぶものなの?
4. ”誰でも発信できる音楽の時代(YouTubeやポッドキャスト)”と、”一部の選ばれた者だけが集う(SNSの閉ざされた空間での)音楽の時代”。|その二つの間で、心はどちらに寄るものなの?。
(難しくなりやすく、対立してしまう言葉を、現代版に置き換えた言い回し です)
1789年10月5日 ヴェルサイユ行進(フランス革命最中)

ヴェルサイユ行進とプチ・トリアノンの象徴(クリックで展開)
パリの女性を中心とした数千から二万とも言われる市民が、食料不足の叫びを携えてヴェルサイユへ向かっていきます。パンへの要求は、やがてマリー・アントワネットの立場を決定的に失墜させていくのです。
プチ・トリアノン——彼女の理想郷は、民衆との断絶を象徴する存在へと変わっていってしまう。
「ライプツィッヒとプチ・トリアノン」
「文化は、誰のものなのか。」
「美しさは、開かれた広場に息づくものか(ライプツィッヒ)。それとも、閉じた楽園に留まるものか(プチ・トリアノン)。」
マリー・アントワネットの愛したモーツァルトの音楽もまた、ライプツィッヒでのバッハ音楽との出会いを通じて変化し、彼女の失われた理想郷とはかけ離れた、遠い存在へと変化していくのです。
次回へ(クリックで展開)
次回は、マリー・アントワネットの真の償い——権力を握ったことによる崩壊の埋め合わせ。です。音楽は、再び元のハイドンの音楽に戻っていきます。