雄太のミュージック日記

60秒で心が整うクラシック。 しばらくは、少しゆっくりとした歩調で綴っていきます。 日々の波の合間に、静かな音の物語を置いていきます。

スザンナ・マルッキ/東京都交響楽団(2026年7月17日 サントリーホール)|ジョン・レリエが歌う青ひげの世界

 スザンナ・マルッキとジョン・レリエのコンビによる定番の「青ひげ公の城」が、東京で再現されたことは、素直に嬉しい出来事でした。
 2019年、スイス・ロマンド管弦楽団でも取り上げられた同作。
 今回は、ユディット役が、2000〜2010年代にイタリア物からドイツ物まで幅広く活躍したイルディコ・コムロシから、シルヴィア・ヴェレシュへと変わった点が大きな相違点でした。
 結論から言えば、前回から7年。ジョン・レリエは風貌も気品もさらに深まり、演奏会形式でありながら、舞台全体に品格が満ちるような存在感を示していました。積み重ねてきた年月が、そのまま音の説得力となっていたように思います。

王道路線としての「青ひげ公の城」

 今回の都響とマルッキによる「青ひげ公の城」は、いわゆる“王道路線”の作品像を、現代の耳に合わせて丁寧に磨き上げた公演でした。

 序盤から、管弦楽は過度にドラマを煽ることなく、物語の歩みとともにじわじわと色彩を変えていく。その変化の幅が大きいのに、決して乱暴にならないところに、マルッキの設計の巧さがありました。

 音量の大小ではなく、音の質感の移り変わりで緊張を作るため、聴いていて疲れない。気づけば作品の深部へと連れて行かれる、そんなタイプの「青ひげ」だったと言えるでしょう。

ジョン・レリエの言葉と歌が描く青ひげ像

 若い頃のやや粗削りな印象から、今回は言葉の一つひとつに重みと余裕が宿り、沈黙さえも音楽の一部として感じられるほどに成熟していたように思います。
 決定的なのは、彼の歌が「怖さ」だけでなく「品格」を帯びていたことです。
 ユディットに真実を見せる場面でも、感情を爆発させるのではなく、静かな説得のように進んでいく。その静けさが、かえって残酷さを際立たせる。演奏会形式でありながら、レリエの声のニュアンスだけで、舞台上に青ひげの城の空気が立ち上がってくるのを感じました。

ユディット像の変化と、作品全体のバランス

 ユディット役がイルディコ・コムロシからシルヴィア・ヴェレシュへと変わったことは、作品全体のバランスにも大きな影響を与えていました。
 コムロシのユディットが、外界から城へ乗り込む強い意志と存在感で物語を牽引していたのに対し、ヴェレシュのユディットは、もっと内面の揺らぎを抱えた人物として描かれていたように感じます。
 扉を開けるたびに、彼女自身の迷いが増幅されていく。その変化を、声の色合いとフレーズの運び方で細やかに示すため、聴き手は自然とユディットの視点に寄り添ってしまう。
 結果として、青ひげとユディットの関係は対立というより、互いの孤独がすれ違う物語として立ち上がり、作品の残響も以前とは少し違う場所に長く留まり続ける印象を残していました。